12話「ライブアライブ」の歓喜と憂鬱

choiota2006-06-25


いや〜改めて言うまでも無く凄かった。ライブシーンは鳥肌ものでした。

学園祭の雰囲気、ハルヒのライブ描写、鶴屋さん(!)、パロディネタ(喫茶第三帝国DMC←見よ!私は正しかった!)などなど、見所は盛り沢山で、モブシーンの隅々まで行き渡る作画も神レベルでした。


ただ、どうしても拭い去れない違和感を感じてしまったのも事実です。

例えて言うならば、単品としてはシェフ渾身の出来なんだけど、コース料理の一皿として楽しむためには、微妙にハーモニーを乱しているのではないか?という感じでしょうか。


以前僕は「サムデイインザレイン」の感想で、「原作者である谷川流が、小説では絶対に出来ない表現をアニメーションでしようとした」と書きました。
オリコンのインタビューで本人も語っておられました!)

アニメオリジナルエピソード「サムデイ イン ザ レイン」については?

 原作の小説ではできない、映像化作品でしかできないことをやってみたいと思ったのです。それと、あえて何もない学園生活の一コマ。

今回のライブシーンも、「小説では絶対に出来ない表現」でした。
それは見事に成功したと言えます。

萌え理論Blogさんはこう書かれています。

ここで、映画やライブというのがポイントになる。なぜなら謎解きをどんなに複雑に配置しても、原作を知っている視聴者はそんなに驚かない。しかし、声や画面はアニメ固有のものなので、その臨場感までは先回りすることができない。つまり、先に消費できないネタを持って来ている。原作を既知の視聴者もライブは初体験なのだ。

今回のライブシーンは、平野さんの歌唱力と京アニの過剰なまでの入魂作画によって「アニメーション」としては稀有なまでの「ライブ感」を表現できていたと思います。
全く「映像」と「音声」の力を十二分に活用した回であったと言えます。


逆に、小説(文章)でしか描く事ができない表現も当然ながらあります。

原作で、ハルヒのライブを聞いているキョンは、ハルヒ長門の巧さに驚きながらこんな感想を持ちます。(p.30 L5)

 だが、それ以外にも俺は何だか原因不明の引っかかりを感じていた。何だろう、この妙にむず痒い感覚は。

それは古泉によって、「涼宮さんはほぼ完璧に唄いきったが、(十分な練習を重ねた程には)完璧ではなかった。その微妙なずれを感じ取った聴衆は、本来の演奏を聴きたいと考えMD録音を所望した」と解説されます。

つまり、単独では十分すぎるほどの技巧を持ちながら、完璧ではなかった事が奏功したという事なのですが、これは小説(文章)だから出来た表現です。

キョンが感じた微妙な「引っかかり」を映像として表現し、それだけで感じ取ってもらう事は不可能でしょう。(単に音がずれてるとしか受け取れないですから)

だからこそ、アニメでは完璧な演奏という演出・表現に落ち着き、古泉「解説」のくだりは削除されたわけです。


その為に、今回のハルヒは「1時間練習しただけで、歌とギターを完璧にこなして聴衆を魅了した」という超人になってしまいました。(原作では、ギターは持たず、直立して譜面台を見て唄うだけでした)

果たしてそれで良かったのでしょうか?


ハルヒは、殆どオールマイティの才能を持っているが故に、さほど努力しなくても普通以上の結果を簡単に出してきました。


けれどもそれが彼女に幸福感を与えてきたわけではありません。


ハルヒは、小六の時に甲子園球場(多分)で5万人の人間を見て、自分を取り囲む世界の小ささに気付き、本当の意味で「特別な自分」を見出してくれる誰かを探し続けてきました。(「特別な自分」を見出すのが「普通の人間」である筈が無い、普通ではない「宇宙人、未来人、超能力者、異世界人」ならば判ってもらえるんだ、と考えていた訳です)

その特別な自分に初めて気付いてくれたのがキョンだった訳ですが、キョンは極めて普通の人間であり、普通の感性でハルヒに対して突っ込みを入れ続けてきました。

頭がよく可愛く、何をやらせても上手だったハルヒは、他人に注意を受けるという経験や、何かを成す為に努力するという経験は、キョンと出会ってから得た物でした。(「エンドレスエイト」における、「夏休み最終日に必死で宿題をやっつける」なんていうのはその典型です)


確かにハルヒは、何をやらせても相当のハイレベルでこなしてしまう超優等生ではあります。

しかしながら、同じく文化祭で公開した映画「朝比奈みくるの冒険」のトホホ具合から言っても、ハルヒの才能が全てにおいて超絶的な天才レベルにあるのではなく、普通の人よりは平均的に高いけれども、異常に突出したものではない事(むしろ突出しているのはそういう自分を自覚した時点で、そこから抜け出すために選択する方法なのですがこれは後述)が判ります。


僕はこの物語には、「自我の確立」「自尊感情」「他者の認識・尊重」といった発達心理学的課題があると感じています。

ここを読んでいる人にはあまり関係ないかもしれませんが、明橋大二という人の書いた「子育てハッピーアドバイス」という本の冒頭で、問題行動を起こす子供について、「自己評価の極端な少なさ」を挙げています。

「自己評価」とは、自分は生きている価値がある、存在価値がある、大切な存在だ、必要とされている、という感覚のことです。
これが生きていくうえで、いちばん大切です。

この安心感を持てなくなると、子どもは、心配な症状を出したり、気になる行動をとったりするようになります。


ハルヒの行動原理が理解できると思えませんか?

物語が始まった頃のハルヒの奇矯な行動は、幼児のそれと言っていいでしょう。
長門は、生まれたばかりの赤ん坊が感情を獲得していく様をトレースしています。
頭にお花畑が咲いてるかのように描写されているみくるも、無力感に苛まれています。

涼宮ハルヒの憂鬱」は、自己評価の低い登場人物たちが、様々な体験を通して自分の価値を再確認し、自己評価を高めていく物語でもあると言えるでしょう。


それは、原作においてハルヒ(憂鬱)、長門(消失)と続いてきて、今はみくるがその途上にあることからも判ります。(古泉はカウンセラーでありアナライザーですので救われないかも知れませんが)


ちなみに監督の石原立也氏はオリコンのインタビューでこんな話をしています。

サイトをご覧の皆さんにメッセージをお願いします!・・・とくに中高生の方に・・・

 「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品は肩肘張らずに楽しめる娯楽作品であると同時に、「神とは何か?」「感情とは何なのか?」「常識って何?」「人間原理」等々、知的思索にあふれた物語でもあります。
「人を好きになる気持ちとは一体何なのか?」とか、ちょっとだけ深く考えるきっかけになれば嬉しいです。


物語の構造を、上記のように読み解くと、12話の「完璧なライブ」は困った位置づけになってしまいます。

アニメーション演出的にはこれが最善だったでしょうが、物語の根本では完璧であってはならなかった。

学園祭の後日談で、ハルヒが浮かない顔をしているのは当然です。

原作では「完璧ではなかった」と描かれている事や、本来(バンドのオリジナルメンバーが)自分自身で切り抜けるべき事柄に余計な手出しをしたのではないかと思い悩んでいる、という理由があります。

アニメでも「なんか落ち着かない」という表現になっていますが、あのライブシーンを受けて「あくまで代役だったから」というのはちょっと無理があるのではないでしょうか?(余裕でオリジナルを喰ってしまった、という見え方でしたから)


自他共に認めるほど自己評価が高まってしまえば、それを見出す物語はそこで終了です。
存在意義を失ってしまいます。


これが、僕の感じた違和感の根源なのかもしれません。

せめて、ハルヒはギターなど持たず、譜面を見て直立不動(これは僕のイメージ)で唄っていれば、ここまでの違和感は感じなかったのかも知れません。(まあ、そうするとライブシーンの魅力が半減してしまうわけで、しなくて正解ですけど)


という訳で、違和感は感じましたが、アニメの演出表現を否定する話ではありません。
むしろ、アニメでしか出来ない魅力的な話だったと思います。

DVDは、ご祝儀的に1本(朝比奈ミクルの冒険w)だけ買いました(やっぱ商売として成立しないと続かないんで。敬意を表して)が、この回については買ってもいいかも…っていうか「射手座の日」とセットだったら買っちゃうんだけど…っていうか1枚に2話収録って、14話で1枚目は1話のみ収録って事はどうなんるんだろう?最後だけ3話(射手座・ライブ・サムデイ)収録?だったら絶対買いだな…


小説を映像化するためには、映像ならではの脚色・演出が必要です。
これは本当に難しい仕事です。

涼宮ハルヒの憂鬱」のアニメ化では、原作をきちんと消化し、1クールという限られた回数の中で描くべき事、描かない事を決めてまとめ上げた構成と脚色が出色の出来であり、レベルの高い仕事を見せてもらった満足感があります。


発熱地帯さん「「発散型」から「ジグソーパズル型」へ」でも、「アニメ版『ハルヒ』は発散ではなく収束」している事を評価されていますが、まさにその通りだと思います。


ちょっと気になってる「話数シャッフル」に関しては、視聴順序の強制と想像力について思うところがあるので、また別稿にて書くつもりです。


さて、残り2話は規定課題であり、クロージングですので、原作とかけ離れた演出になる事は無いと思います。

ただ、僕としては原作の終わり方にはちょっと、無理矢理な感を抱いてますので、もっと上手に納得のいく終わり方に持っていけるのかについては非常に興味があります。


ちなみに今回はライブで見てたものの録画に失敗しました…orz

そんな訳で、見直して確認する事ができず、ファースト・インプレッションをベースに、主にA-MIXさんのレビューで脳内リプレイしながら書きました。>A-MIXさん、いつもありがとうございます。


あと、本文中には書いてないのもありますが、下記のエントリも参考にしています。

輝きと沈黙と「ライブアライブ」
祭りからライブへと進化するハルヒ
以上(萌え理論Blogさん)

「『涼宮ハルヒの憂鬱』12話」の憂鬱
(前島日記さん)

「涼宮ハルヒの憂鬱」第12話を見た。
(妄想界の住人は生きている。さん)

<追記>
あうあうっ、殆ど同じ主旨の記事を発見しました。
一応弁解しますが、自分のをエントリし終わってから、前島日記さんのTBから辿って読みました。っていうか、今回のエントリは忙しかったのもあって一週間近くかけて書いてました。

ハルヒ12話のライブは美味すぎるか?



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