「消失」はやはり映画?

「今日もやられやく」さんに、「兵庫県の甲南病院で京アニの撮影部隊が来るらしい」というエントリが上がっていました。


兵庫県の甲南病院で京アニの撮影部隊が来るらしい(今日もやられやく)

225 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/02(水) 22:23:10 id:mmZ90ctG0


既出?かも知れないけど新情報。
ソースは身内。

兵庫県の甲南病院で京アニの撮影部隊が来るらしい。
院内の関係者に文章で配布されたらしいけどどうやら「ハルヒ映画」の撮影のこと。
撮影日が指定されてたらしいけどさすがにそこまで聞き出せなかった。

映画ってもしや消失のことだろうか。


TMAの実写じゃないの?」という声に対して、id:mmZ90ctG0氏は下記のように答えています。

229 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/02(水) 22:28:26 id:mmZ90ctG0


今回は本物っぽいよ。
正式な文書が配布されて関係者の間で話題になってたらしい。
どうもアニメーションのトレス用か何かだとか。


アニメーションのトレス用という事は、やはり実写ではなく背景画像用の撮影、という事でしょうね。
しかも「映画」という事であれば、やはり「消失」のラストシーンというのは一番順当ではないかと思います。

250 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/02(水) 22:35:15 id:mmZ90ctG0


実際撮影に使う病室とかシーンの内容まで詳しく内部で公表されてるらしい。
ソースがアニメに詳しくないもんであまり聞き出せてないが。


実際、非常に古くからある病院で、内部はかなり近代的に改装されていますが、外見は相当レトロな感じです。


このネタが真実かどうかは判りませんが、本当だとしたら嬉しいですね。
というのも、この病院には何度か行った事もあるからです。


流石に、撮影に来るのを監視するわけにはいきませんが、もし本当に舞台として使用された暁には、ロケ地の特定をしたいと思います。(とはいえ、普通に患者さんが来る病院なので、迷惑にならないよう充分配慮するつもりですが…)


っていうか、伝手を辿ればこの病院に勤務している人がいた筈ですが、一般人なのでとても聞くことが出来ません。
残念。


さて、もし本当に映画だとした場合、いつ頃公開になるのでしょうか?
新規に背景の必要になる全てのカットを撮影して回っているのだとすれば、来春くらいになるかも知れませんね。

ただ、今放映している「あらためて」の新作制作終了後すぐに制作に掛かり、ラストシーンの制作が近付いたので背景の用意を始めた…っていうことであれば、今冬くらいには公開できそうですが…


まあ、いずれにせよ、やっぱり映画なのか?という点を早く解決したいものです。

クチコミ症候群

昔はコント中心だったお笑い・バラエティ番組に、いつしか「司会」として「大物お笑いタレント」が入るようになり、後輩の若手芸人を弄って遊ぶだけのような内容になり廃れていったため、昨今の一発芸的お笑い番組が増えたように思います。
衰退期のお笑い番組で一番目立っていたのは、「大物お笑いタレント」の傲慢な言動と、スタッフの笑い声だと記憶しています。


涼宮ハルヒの溜息」が、小説55ページずつ・5話構成ではないか?、という話を聞いて、作り手の笑い声が聞こえたのは幻聴だったのでしょう。

ハルヒ「涼宮ハルヒの溜息」は1話毎に原作55ページづつ消化 5話構成がほぼ決定です(今日もやられやくさま)


初回のラストシーンが、台詞の掛け合いの途中で分断されていた事、その為2回目冒頭が、初回ラストシーンと重複していた事も、CMを挟んで同じシーンを何度も見せるバラエティ的押し付け編集的だなぁ…と思っていたのですが、単純に「275ページの原作を5回で見せるから55ページずつ」としたのであれば、頷ける話です。


ラストカットならまだしも、冒頭アバンを会話の途中から開始するのは流石に意味不明になるから、という理由でラストシーンを再録したのでしょうね。


連載小説では、各掲載回の中で山場や次回への引きを作るのがセオリーとなっています。
物語への興味を持続させ、読者を楽しませるための作法・セオリーと言っていいでしょう。


勿論、それは昔ながらの「形式」であって、そんなものを打ち破って尚且つもっと読者を面白がらせる手法があるのであれば、どんどん使うべきでしょう。


物語を紡ぐ、という意味でテレビアニメーションでも同じことが言えると思います。
旧来の手法を否定して、もっともっと視聴者を楽しませ、驚かせることが出来るのであれば、どんな事でもやっていただきたいと思います。


しかし、ループする内容だからと言って8回繰り返す事や、原作小説を単純に放映回数で割って強制的に話をカットする事が、従来の演出技法を凌駕するほどの面白さや新鮮さを生み出したと言えるのでしょうか?


僕には作り手の「くくく、よく気付いたね。どうだい、面白いだろう?君達にこの面白さが伝わってよかったよ」という笑い声だけが聞こえてくるような気がしてなりません。


そして僕は、全く面白いとは感じられませんでした。
所詮、個人の感想なのですから、そういう人もいるね〜、感性が古いよね〜と言われるかもしれません。


それはそれで結構です。
僕は面白くなかったし、尚且つ露骨な「話題作り」の意図が透けて見えて不愉快であった、と書き記すのみです。


2期が始まる頃に、「涼宮ハルヒの必然」というエントリの中で僕はこう書きました。

中の人達が期待したような踊り方ではないでしょうが、存分に踊らされたいものです。


何故「中の人達が期待したような踊り方ではない」と書いたのか?
それは、当のエントリにも書いていますが、3年前の「涼宮ハルヒ≠Web2.0」というエントリを書いた頃から、再三言い続けて、危惧していた事があったからです。


それは、「一期の爆発的ヒットは、時系列シャッフルや独立U局放映による情報格差が口コミを誘発したからだ→それは自分たちが仕掛けたからこそである」といった作り手側の思い込みを糾したい、と考えていたからです。


確かにそれは一因ではありますが、結果としてそうなっただけであり、最初から意図的に起こせたものではありません。
特にYouTubeの勃興期と重なるという最大の要因は偶然でしかありませんでした。


けれども、彼らは「ネットで話題になる仕掛けを仕込むことが必要だ」と考え、今回の様々な仕掛けを用意したとしか思えないのです。
僕は、そのような勘違いして仕込んだ仕掛けには乗れないが、自分の感性で楽しみたいものだ、という意図を込めて「期待したような踊り方は出来ない」と書いたのでした。


一期における時系列シャッフルは、原作が人口に膾炙する程売れていない、TV放映は独立U局で数も少ない、という中でいかに小説までの波及効果と、原作既読者に対する面白さを担保するか、という中で出てきた手法だと思われます。


吹き荒ぶ逆風の中で、何とか面白いものを作ろう、面白いことが大好きなハルヒならどうすれば喜ぶだろう?といった考え方に基いていたと思います。


けれども、二期(?)においては、

・いきなり二期では時間が経ちすぎて判らない人も多いだろうから再放送も混ぜよう
・出来るだけ盛り上げてから「消失」を見せたいので、それまでを引き延ばそう
・どうせならエンドレスエイトを8回やれば、話題にもなるし、五月蝿いファンも驚くだろう
・話題と言えば、「溜息」も仕掛けがほしいな…原作小説を五等分とかどうだろう?

といった、「どうすれば面白くなるか?」という本質から離れ、「どうすれば話題になるか?」という方向にのみ暴走しているように感じられてなりません。


僕は、批評したくて見ている訳ではありません。
「あぁ、面白かった」と思いたくて見ているだけです。
メタな視点とか、どうでもいいのです。


…っていうか、作り手が本気でコレを面白い、と思っているのであれば、もう何も言いませんけどね。
ただ、アウトプットとしては作品しかないわけで、作るだけ→見るだけというのは、双方向のコミュニケーションとは全く異なるものであると考えます。

やってる側も、見ている側も、真摯に作っている人もいて、真摯に怒っている視聴者もいて、それぞれに事情はいろいろあろうけど、そのコミュニケーションがさまざまなメディアによって起きている状況のライブ感が、とても面白かった、というのが「エンドレスエイト」についての私の感想ですね。
「退屈...」長門が夏悔いた/終わる「エンドレスエイト」にひと言+(白鳥のめがねさま)


「視聴する側は、ある種意図したとおりに大騒ぎしていた訳で、さぞかし痛快だったろうな、作り手は。」と考えるだけで、全く楽しめなかった、というのが僕の感想です。
そして、本気で面白いと考えているのであれば、彼らとコミュニケーションなんて成立しないな、とも思うのです。


ただ、その構成を指示した者と、制作現場の意思が全て統一されていたとは思っていません。
けれども、商売としてやっている以上、従わなければならない事など幾らでもある訳で…


そう考えると、作り手の中にも相当ストレスを感じていた人がいるのだろうな…とも思います。


いずれにせよ、今回の一連の「仕掛け」を経たお陰で、エンドレスエイトの7回目を録画し忘れても気にならないし、溜息が始まっても、リアルタイム視聴をせずに録画を数日後に見ても平気、という位、僕の中での優先度は下がってしまいました。


願わくば、「消失」は劇場版にして2時間以内という制約の中で綺麗に纏め上げてほしいものです。
小賢しい小手先の「仕掛け」など無くても、面白い物語を紡ぐ事は出来るのですから。

『蜻蛉迷宮 〜Amnesia † labyrinth〜』(1)

choiota2009-08-16


谷川流生存確認その3って事で、「蜻蛉迷宮」を買いました。
っていうか、買ったのは結構前なのですが、現在元から少ない空き時間の殆どをDQ9に費やしているため、積んでいる本がどんどん増えている状況です。(しかも、クエストとか転職とかをダラダラやっているので、未だにクリアしていないという…)


まあ、ハルヒ脚本ではあまり冴えなかった、というか原作者のみが使える強みも使っておらず凡庸だったので、こちらも確認をしてみようと思った次第です。

公式サイトの新刊情報説明文はこんな具合です。

───“蜻蛉”の世界に、刮目せよ───

八月三十一日、夏休みの最終日。遠く離れた男子校で寮生活を送っていた櫛木宗次は、二学期から実家近くの学校に通うことになり、再びこの街に戻ってきた。独特の雰囲気を持つ一番上の妹・曜子、わたわたとせわしなく動く二番目の妹・波留巳、元気いっぱいで何故かメイド服姿の一番下の妹・咲。また彼女たちとの平穏な生活が始まるのだ──そう思っていた矢先。宗次が転校した学校では、奇妙な連続死亡事件が起こっていた。クラスメイト・笹井由香子の強引な誘いを受け、宗次はその事件の謎を追うことになるのだが……。


これは、小説を愛する読者たちに贈る“漫画”である。


一読しての感想。

谷川流この先生きのこる!?


う〜ん、なんだか「月姫」を翻案したのかと思っちゃいました。
すごく…きのこってます。谷川先生。


だってね…


 ・兄の出奔を契機に、実家に帰ってきた主人公。(ここは違うけど、印象としては似ているかな?)
 ・旧家には、主人公を兄と慕う3人の妹。(実妹、義母の連れ子、妾腹・肉体関係あり)
 ・繰り返される殺人、跋扈する殺人鬼。


勿論、お話としては全く違うのですが、なんだか思い出させるよなぁ〜って感じでしょうか。


ストーリーとしては、1巻では風呂敷を広げている段階で、尚且つどの方向に流れるのか判りませんが、主人公が殺人を妹達の仕業と断定している辺りから、単純なミステリーではなく伝奇モノかサイコホラーといった趣です。
少なくとも、殺人事件の犯人探しがメインではなく、主人公を巡る妹達と「家」「血統」といったものがキーになってくると思われます。


お話としては続きを読んでも悪くないのですが、作画が若干好みではない、というか不安定ですね。
僕は、アニメを作画監督で語ろうとは思わないのですが、まんがは作家性の世界なので、絵の好みに嵌まるかどうかで続けるかどうかを決めますが、今回は正直微妙…

まあ、原作有り、キャラ設定有り、という事で次巻を読んでみます。


それにしても、「刮目せよ」とは随分大仰な煽り文句ではありませんか…
そして、帯にはヤマカンを持ってくる、と。


一生懸命話題作りをしようと頑張るのもいいけど、まずは「驚愕」をどうにかしようね、ほんと。


さて、以下ネタバレありますので、未読の方はご注意ください。

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涼宮ハルヒの溜息I(画像追加版)

昨夜は睡魔に勝てなかったので、画像を追加して、実況モードを補完します。


まずは、本日最初の長門


「はい。」

永遠と続いていたらしい夏休みが終わって、二学期が始まったかと思えば、今日は早くも体育祭である。
こんなハレの日にハルヒがおとなしくしている訳がないのは、巻き込まれた俺たちを見ても明らかだ。
とにかく、ハルヒは祭りというものがだ〜い好きなのだ。

というキョンの独白で、すわオリジナルか?と思わせる釣りでしたが、脚本が「本人」(公職選挙法対策)だったという事で物議を醸しておりますが…


ハルヒ新アニメ#20「涼宮ハルヒの溜息I」の脚本が、原作者の谷川流だった件


実際は、アバン明けで文化祭の話題に移り、「やっぱり溜息かよ〜…って、ほんまに溜息出るわぁっ!」と、サンテレビ視聴者の86%は画面にツッコんでた訳です。



文化祭の準備をするあずにゃん


コンピ研の壁に貼られているポスター(?)が気になります。


キョンに向かって、文化祭の意義を説き、鼻息の荒いハルヒは宣言します。



「あたしたちSOS団は、もっと面白いことをするわよ!」

そう言った涼宮ハルヒの顔は、第二次ポエニ戦争でアルプス越えを決意したばかりのハンニバルのような、迷いのない晴れやかな輝きを放っていた。


…原作では、この後に「放っていただけだったが。」と付くんですけどね。
それくらい毒があっても良いと思いますが…。


SOS団の文化祭の演し物は、「映画の上映会」。
制作費は、文芸部の予算を流用する事を、文芸部員了承済みだそうです。



「そう。」


という事で、その日の活動は映画製作の宣言で終わり。



本日の長門さん、出番終了です。


ただ、映画製作に必要な機材調達をしなけりゃならない、という事で、ハルヒキョンとみくるの3人で商店街に出発。
首尾よくビデオカメラとモデルガンを調達する所で「涼宮ハルヒの溜息I」は終了しました。


出来れば、ハルヒがビデオカメラを調達している時に、キョンが「超光速航法を実現したいなら、ハルヒを宇宙船に乗せてやればいい。やすやすと相対性理諭を無視してくれるだろう。」という独白について、原作にある…

そんなようなことを長門に言ったところ、あの無口な宇宙人モドキは、

「あなたの意見は、おそらく正しい」

と、長門にしては意味のある文章を喋った。


という部分も映像化して欲しかったところです。


それにしても、この調子では次回はウェイトレス:みくると、悪い魔法使い:長門の衣装お披露目と、商店街CM撮影で終わってしまいそうなテンポです。


IIIでようやく本編撮影開始として、ここで「ミクルビーム」まで行ければ良いのですが…


上手くいったとして、IVで谷口・国木田・鶴屋さん登場。
長門がみくるに噛み付く姿が楽しみです。
しかし、みくる水難の段はこの回には入らなそうです


Vに至って、みくる水難〜「キョン/怒りの脱出」くらいまででしょうか?
ここでハルヒDQNモード全開になるのですが、果たしてアニメではそこまで描くのか?
ある種、これも「消失」の原因とも言えるので、これを描かないと「溜息」を語る意味はないと思うのですが…


そして、VIでいよいよ白い鳩に、キョンの暴走に狂い咲きサンダーロードってとこでしょうか。遠いなぁ〜
まあ、隠れて反省してポニテにしてるハルヒはちょっと見てみたいですけどね。
さて、シャミセン登場くらいまででしょうか?


しかし、それでは後半の追い詰められ方が描けなくなりますね。
もう少しテンポアップして、IIIで本編撮影〜キョン激怒、IVで異常大発生、Vでラストまで、、但し朝の部室で本編は見ずに、ハルヒがアフレコをするシーンで終了、って所でしょうか。


すると、今回の全28話はこんな感じですか?

04/02 第01話 涼宮ハルヒの憂鬱
04/09 第02話 涼宮ハルヒの憂鬱
04/16 第03話 涼宮ハルヒの憂鬱
04/23 第04話 涼宮ハルヒの憂鬱
04/30 第05話 涼宮ハルヒの憂鬱
05/07 第06話 涼宮ハルヒの憂鬱
05/14 第07話 涼宮ハルヒの退屈
05/21 第08話 笹の葉ラプソディ
05/28 第09話 ミステリックサイン
06/04 第10話 孤島症候群(前編)
06/11 第11話 孤島症候群(後編)
06/18 第12話 エンドレスエイト
06/25 第13話 エンドレスエイト
07/02 第14話 エンドレスエイト
07/09 第15話 エンドレスエイト
07/16 第16話 エンドレスエイト
07/23 第17話 エンドレスエイト
07/30 第18話 エンドレスエイト
08/07 第19話 エンドレスエイト
08/14 第20話 涼宮ハルヒの溜息
08/21 第21話 涼宮ハルヒの溜息
08/28 第22話 涼宮ハルヒの溜息
09/03 第23話 涼宮ハルヒの溜息
09/10 第24話 涼宮ハルヒの溜息
09/17 第25話 朝比奈ミクルの冒険 Episode00
09/24 第26話 ライブアライブ
10/01 第27話 射手座の日
10/08 第28話 サムデイインザレイン


う〜ん、やはりこれで収まる感じですね。
消失が、「本当の二期」になるのか劇場版になるのかは知りませんが…


エンドレスエイトが5話位終わっていれば、余裕で「消失」が入っただろうに、ここまで引き延ばされると、興醒めもいいところです。

まあ、テレビ放映されている分には見ますが、映画とかDVDになったらどうだか…
と言いながら「消失」なら絶対見に行くんですけどね…。

涼宮ハルヒの溜息I(実況モード)

いきなり体育祭シーンが来て、「オリジナルエピソードか!?」と思ったのですが、残念ながら(?)溜息でした。

サブタイトルは「涼宮ハルヒの溜息I」
さ〜て、溜息で何話消費するのでしょうかね?

っていうか、久々の実況モードです。

準備完了でIは終了。

これは4話くらいは軽く消費しそうです。

長門有希の憂鬱

エンドレスエイトがようやく終わったわけですが、それで感動している人がいるというのに驚きました。


涼宮ハルヒの憂鬱 エンドレスエイト8週目 オレの夏はまだ終わってない

【感動した】お疲れ様でした、エンドレスエイトは終了しました【ありがとう】

ハルヒ新アニメ「エンドレスエイト」のループが8回目(#19)で終了し、本スレ「やっと終わったよ」と「感動した」の流れ


精神的圧迫を与えておいて解放する事で相手を術中に嵌めるのは、ある種常套手段ですからね〜


これだけの前振りをして、原作よりもループ回数を増やすという改変をするからには、ループ脱出についても原作を超える何かを持ってくるのでは?と予想する向きもありましたが、見事に肩透かしを食らいました。


結局、見せられたのは制作陣の「今回も視聴者の予想を遥かに超えた実験的な事をやってのけて、ネットだけでなくリアルでも話題にしてやったよ!」という壮大な自慰行為でしかなかったように感じます。


ハルヒ、エンドレスエイトについてスタッフのコメント


タイミングを合わせた筈なのにフライングしてしまった提灯記事では「15531回(7話)のループのおかげで生まれた奇跡の一話」などと持ち上げていますが、そもそも視聴者に「長門と同じ体験をさせる」事の意味を判っているんでしょうか?


以下ネタバレあります!

続きを読む

涼宮ハルヒの円環

今週はリアルタイム視聴が出来ないため、実況はやりません。
先週はそもそも見れなかったし…
一応今週はきちんとタイマーをセットしたので土曜日以降で感想をアップしたいと思います。
(8回目にしてループから脱出できている事を祈ります)


さて、相変わらずまとめて書く時間が取れないのですが、何故僕はエンドレスエイトのループを拒否したのか、について少しだけメモしておきたいと思います。


それは、根本的に「物語」とは何なのか?という話に帰結すると考えています。


私達の人生は有限で、一個人として体験できる出来事の総量など微々たるものです。
実際に体験した「経験」だけに頼るのであれば、人類はここまで発展出来ませんでした。


けれども私達は、「知識」や「想像力」を駆使して、個人の体験以上の「経験」を得ることが出来たのです。


「物語」とは、実際に体験していない、或いは実際には体験しようのない「経験」を与える為の装置です。
「体験」しない事を「経験」したと思わせる為に、数々のテクニックが生み出されてきました。


言葉、絵画、演劇、歌…様々な「物語」を伝える為の媒体物が生み出されてきました。


「物語」は媒体物の持つ情報量が少ないほど想像力を働かせる余地が大きくなり、より豊かな経験を生み出すことが出来ると僕は思います。
そういう意味では、「物語」に最も適した媒体は「文字」だと言えるでしょう。


逆に映像は、「物語」を伝える媒体物としては、最も情報量が多い媒体だと思います。
受け手の想像力を働かせる余地を少なくして、「物語」の語り手の意図を転写しやすくしている訳です。


そのために、撮影テクニックや編集テクニックが進歩してきました。
ですから、映像で「物語」を伝えるための方法は限りなくあるといっていいでしょう。


要するに、「何回もループして、独りそれを観察してエラーを蓄積していく長門」の気分を味あわせる為には、実際にループを何度も描写しなくても、そう感じさせる方法もあると僕は思っています。


けれども、彼らは「実際に何度もループすれば一番伝わるんじゃない?」と判断したように思えます。


「『経験』を伝える為に、実際の『体験』こそが最も適している」、と考える人には「物語」を紡ぐ・語る資格は無いと考えます。


大切なものを失った気持ちを伝える為に、受け手が大切なものを無くさなければ理解できないと考えるのでしょうか?
他人の心の内ですら図り知ることのできない私達が、同じ体験をしたとしても同じ「経験」をした事にはならないのは自明。


伝えたいことを伝える努力をせず、同じ体験さえさせればいいだろう、寧ろそれで伝わらない相手ならば伝える必要はない、とでも考えているのでしょうか?


余りにも浅薄では?


そもそも終わってもいないので、決めつけるのは早計だとは良く良く理解しています。


ただ、二期においては「話題作り」のために、意図的に情報格差を作ろうとする様が露骨に透けて見えたと感じています。


彼らの最大の間違いは、2006年にハルヒがヒットした原因を、「自分たちの仕掛けがうまくいったからだ」と自負し過ぎていることであると思っています。
当時流行していた「Web 2.0」の最先端を自分達が駆け抜け、成功したんだ、という誤った感覚が蔓延しているように感じます。
(この辺りの気持ち悪さは何度か書いているのですが)


なんだかまとまりがありませんが、なんとなくそういう部分で、もういいや…ってなったというのが一番大きいと思っています。